熱い人

shinshu2003-08-20

信州では色々なタイプの人が走っていた。
今回、印象に残った選手は数多くいるが、中でも奈良(物見山)と斎藤(KUCC)、そして渥美(SPADE ACE)の三選手が私の心に強く刻まれている。
三人は、決してスマートなロードマンのタイプではない。選手の中には、おそらくギリギリのところで走っているんだろうが、あまりそれを外見に出さない人がいる。優勝した白石は、毎日のように「今日も楽に前に出ることができた」と言い、実際、ポーカーフェイスで軽々と逃げていた。それが彼のスタイルなのか本当に余裕があったのかは分からないけれど。恐らく優勝したのだから、余裕があったんだろう。そういう意味では、彼をギリギリまで追い詰める選手がいれば良かったのだと思うが。彼は彼で、もっと熱くなりたかったのかもしれない。
話がそれたけれど、前述の三名は、こちらから見ても明らかにギリギリのところで走っていることが分かる選手だった。そして、信州で自分の限界以上の走りに挑戦していることが一目瞭然で見て取れた。
最終ステージで、ほんのわずかのチャンスに懸けて逃げた渥美、斎藤と熾烈な攻防を繰り広げ、恐ろしい形相で走っていた奈良、こうした選手らの走りは、熱くてピュアで、思わずこちらの心拍まで上がってしまう走りなのだ。
私はいわゆる「かっこつけ」は嫌いだ。信州の良いところは、かっこつけてたら走ってられない、という状況になってしまうので、おのずと「必死な人」ばかりになってしまうところだ。峠は苦しい。苦しいけれど、前を見据えてもっと前へ、もっと速く、と自分を追い詰める選手は本当にかっこいい。それは、すらりとした肢体であるとか、ジャージの着こなしがお洒落、とか、そういうのとは対極のかっこよさだ。たとえ顔がドロドロでも、ヨダレをたらしていても、趣味の悪いジャージを着ていても、自分の限界を超えて走るその姿こそが、信州での「かっこよさ」だと思う。
スタッフとしての私は、彼らと同じぐらいギリギリのところで頑張れただろうか。まだ余力を残して働いていたかもしれない。ベストのサポート、ベストのレポートができただろうか。まだまだだと思う。
つけやきばでは実行できない。信州の5日間で限界を超えるくらいの頑張りをするには、やはり日頃からの鍛錬なのだと思う。選手ではないけれど、選手の「ギリギリ」にふさわしい「ギリギリ」を私も実践できるよう、日々を送りたいと思う。
とはいえ、オーガナイザーの近藤は、24時間、ギリギリを地でいってる人なので、もうちょっとセーブしてほしいものだと思っているのだけれど。
☆写真は、追いこむことにかけては一級品の斎藤。背後に見えているのは、彼と連日、共に走りつづけた奈良選手。熱い人バンザイ!

戦い終えて・・・

shinshu2003-08-19

ああ、やっと日記に手を出す心のゆとりが出来た。
と言ってもまだまだやり残している事は多いので、しばらくはドタバタした日々が続きそう。
全ての日程のレポートを書き終え、選手たちのゼッケンを洗って干して、荷物を片付けてひと段落した昨日、どっと心に空虚な気持ちが押し寄せた。毎年のことなのだけど、「ああ終わった」という安堵感と、幾つかの未解決の問題を抱えたモヤモヤ感と、素晴らしい大会の思い出がもたらす幸福感が水蒸気のようになって、放電しきった心の中を飛散するのだ。
今年の信州がどんなだったか、というのはホームページ(www.tour-de-shinshu.com)を参照してもらうとして、私個人の感想としては、やはり「信州、サイコー!」ということだった。
私は元来、不器用なので物事のエッセンスを吸収して理解することにとても時間がかかってしまう。99年の第2回大会からこの大会を近藤にいざなわれ運営し始めて、今、ようやく「信州」を私自身のものにすることが出来てきたように思う。
そして、「なんとかなる」「なんとかする」のキャッチフレーズの通り、あぶない橋を渡りながらも「なんとかなった」のではないかな、と思っている。
数多くの選手が感激の様子で最後の閉会式会場をあとにした。けれど、不完全燃焼だった選手もいる。ハプニングに出会ってしまった選手もいる。スタッフのなかでもきっと100%満足して帰路に着いた人ばかりではないと思う。そうした人たちのことが今、気がかりだ。
もちろん全ての人々が満足してくれる大会なんて運営できっこない、と思う。けれど、できるだけ多くの人が、信州に対して失望よりもよろこびを感じてくれる大会に出来るようにしたい。来年からは、そういう目に見えない部分を大切にする努力をしたいと思っている。
今日は、この後、スポンサーの方々に送る「お礼状」を作り、明日、Tシャツを同封して発送する予定。期間中に怪我をした人に様子を聞く電話もしよう。それから宿にお礼の電話も・・・。おお!まだやることいっぱいあるよ。
ということで、この日記もすばらくはボチボチと書き続けることにしたいと思う。また9月からは周山だもんネ!
わっ、うれしい!こんなところで紹介されている↓
http://www.cyclingweb.jp/domestic/news/200308/030343_0818.html

大会前夜

shinshu2003-08-12

朝にはもう信州へと出発している私たち。
今日は朝から参加賞のTシャツ60枚や賞品類をヤマトで発送したり、物品を一年ぶりに押し入れから引っ張り出して梱包したり、ばたばたと最後の準備に追われていた。
そして夕方、いよいよレンタカーのボンゴとハイエースが京大競技部のやもーん達の手によって競技部ボックスに運ばれてきた。で、でかい。
先日、苦労して購入したスーリーは果たしてきちんと装着できるのか?!信州連覇男の小嶋と今年も選手で出る松村が「フムフム、どれどれ」と組み立て開始。さすが工学部、あっというまに出来上がり、晴れて悩みのタネだったフッターとバーは見事にハイエースの屋根におさまったのであった。ホッ。
夜まで仕事に追われていた近藤の荷物も9時頃にはまとまって、冷蔵庫を一掃して作った夕食を食べて、やっとひとごこち。ああ、遂にあとは出発を待つばかり。
留守中、両親に犬を預かってもらったり、ご近所さんの岡崎あっちゃんにベランダの緑の水やりをお願いしたり、何かと周囲の人々にお世話になっている。「気をつけて」「うまくいきますように!」「がんばって」と何度、声をかけられたことだろう。周山ロードをいつも手伝ってくれるC.A.グッドウィルの純子さんからも激励の電話が鳴った。
信州に行かない人たちだって、同じように信州の成功を願ってくれている。たくさんのサポーターがホームページでのレポートを楽しみにしてくれている。ウェブの向こうには人がいる。その人たちは、私たちの旅路をPCのむこうで見守ってくれている。支えてくれる人たちの期待に応える最大の方法は、無事に大会を終わらせること、だ。今年も起こるであろうアクシデント。誰かが落車し、誰かが怪我をし、ひょっとしたらまた誰かが交通事故に遭うかもしれない。出来るだけそれらを防ぐために、せいいっぱい私たちのほうで努力しないといけない。もしも起こったとしたなら、最小限のダメージでとどめられるよう努力しないといけない。
考え出したらキリがないので、ここまでにしよう。多忙な日々が続いたために準備が後手にまわってしまったこと、もっとああすれば良かった、と思うことなど山ほどあるけれど、あとは大会の期間中にせいいっぱい力を出すことで取り返したいと思う。選手も同じように「やるしかない」って思っているはず。一緒に大きな峠を登ろう(彼らのほうがきついけど・・・)。
それでは、元気に行ってきまーす。
ああ、4時間しか眠れない・・・。
☆写真は、2000年のプロローグ。有言実行で優勝した、山本。プロローグは違うコースだけど、第2ステージでキミの走ったコースを走るよ!見守っていてね。

飛んで火に入る・・・

shinshu2003-08-11

いよいよ開催二日前、ということで準備も最終的な段階に。朝、愛犬のしなもんを迎えに堺の両親が我が家へ到着。今日から一週間、しなもんともしばしのお別れだ。近藤も出かけて独りになった家で、「いよいよ本番だ」と気持ちを引き締める。
仕事を終え、宿へ宿泊のファックスを送り、電話で念を押す。とにかく泊まるところが確保できていなければ元もコもない!幸い、どの宿もしっかりと対応してくれて、うまくいきそうだ。あとは当日、チェックインした後におこなう部屋の割り振りが大変だ。同じチーム員は同室にするのはもちろんだが、ぴったりおさまる訳はなく、あれこれと交友関係やしがらみ(?)や期間中の成績や人間のタイプを考慮しつつパズルのように組み合わせていく。ややこしいけど、面白い作業でもある。
夕方、稲井ちゃんと百万遍みずほ銀行で書類の受け渡しをするために待ち合わせたが、こちらの作業が遅くなり、2時間遅れて夜の7時に彼女の家の下で会うことに急きょ変更。・・・これが間違いのもとであった。
彼女の家は京都と滋賀をへだてる比叡山のふもと、北白川にあるのだけれど、そこへクルマで行こうとしたらさあ大変!今出川通りから白川通りに入ったとたんに、ものすごい大渋滞。信号が3回変わってもピクともしない。なぜ?こんなに白川通りが混むなんて「あーりえないー!」事である。
しばらく経つと事情が分かってきた。白川通りから滋賀県へアプローチするメイン道路「山中越え」が、がけくずれで片側通行であると電光掲示板の案内が目に入った。しかしそれにしても、異様なクルマの数である。何とか前に進んで脇道に入り、必死で稲井ちゃんの家に近づき彼女に電話し、めぐりあうことに成功。
いない「えらいことになってますね」
れいこ「そやねん。がけくずれやって」
いない「それもあるでしょうけど、今日は琵琶湖の花火大会なんですよ」
れいこ「なんと!!」
そうだったのか・・・。みんなアレを観るために必死でがけくずれの道に突入していってたのか。しかしきっと、渋滞のせいで観ることができなかった人もいるだろう。私はそんなことなどツユ知らず、渋滞の中心部にせっせとクルマを走らせてたんだ。ああ、こんなことなら作業を早く終わらせてみずほ銀行で会っていれば良かった。やはり仕事は後手にまわっちゃダメなんだ。
・・・ということで、明日やろうと思っていた荷造りも、今から始めることにします。忘れ物、今年はありませんように。
☆写真は、もう通ることは無いかもしれない。一般車輌規制となった乗鞍へと続く蛭窪トンネル。99年のワンカット

茄子 アンダルシアの夏

shinshu2003-08-10

夕方、経理担当の稲井ちゃんが来訪。通帳を引渡し、今年の段取りについて打ち合わせをした。稲井ちゃんは京大大学院で心理学を学ぶ才女。かつてはバリバリのサイクリストだったのだが、いまやすっかり巷のキレイなおねえさん。独特の感性の持ち主で、きっと今年のツール・ド・信州初参加選手も彼女のユニークな人柄に心なごませ(?)新たな女性観をみることだろう。ふふふ。
そんな彼女も、もうスタッフとして5年目。彼女無しでは、信州の財政管理はこれだけうまくおこなわれなかっただろう。今年も頼りにしています。
そして茄子 アンダルシアの夏
監督さんが出場されるんだし、ぜひとも大会前には観に行かなきゃ、ということで夕方から新京極のMOVIX京都へくりだした。近藤はロード、私もロード・・・といきたいところだったが、前輪を奪われたままだったので泣く泣くママチャリ。せっかくロードレースの映画を観に行くのにー!!まあいいや。スカートはけたし。
上映ギリギリに入ってチケットを買い、いざ出陣。入り口で入場を待っていたら、id:doroyamadaカズさんに遭遇。やはり出会った、自転車好き。とはいえ凄い偶然だなあと心ウキウキしてしまった。
たった一時間の映画だった。だからこそ、ロードレースにふさわしいスピード感と臨場感があった。当初、「自転車好きによる自転車好きのための映画」と聞いていたので、正直なところストーリー性等にはあまり期待していなかった。けれど、主人公のペペが抱く故郷への感情、自転車乗りの持つ孤独が心を打ち、随所のシーンで胸が熱くなった。
近藤と私はいつも語っている。「逃げている選手って、特に峠で逃げる選手って、なぜか孤独感や哀しみをたたえているよね」。映画の主人公は、やはり孤独で、だけど熱い情熱を癒せない傷と共に胸に隠していた。観るうちに、キャッチフレーズの「遠くへ行きたい」の意味が映画のなかでくっきりと浮かび上がり、ペペの「遠くへ」の想いにせつない共感を覚えてしまった。
おりしも信州というビッグイベント(私たちにとって)を直前に控えた今、あんな素敵なシーンの数々を劇場の大画面で目の当たりにできて、感動せずにはおれないではないか!!あれやこれやとツッコミたいことも近藤やカズさんにはあったようだが、まあそれもご愛嬌。13日から始まる新たなドラマに向かって、ボルテージを一気に高めてくれた映画だった。
「茄子 アンダルシアの夏」、まだご覧になってない方、ぜひどうぞ。1000円で、自分たちの好きな世界の魅力を再認識できます。

信州を支える人たち

shinshu2003-08-09

昨日の夕方、みずほ銀行に行き通帳記入をしたら、同じ人から二度連続で振込みされていた。振込み人の名義は、北浦さん。京大競技部のOBで、近藤が第一回の信州を始めた当初から支援してくださっている人だ。毎年、欠かさずお金を振り込み、「自由に使ってくれ」と言ってくれる、信州の足長おじさん(まだ若いけど)的存在だ。
こうした足長おじさんは他にもいる。京大サイクリング部OBのてらりんこと寺本さん、京大競技部の山本のご両親、東大OBの山岸くん、第1回の参加以来、いつも気にかけてくれる庄司さん、などなど。直接大会に関わることはなくても、金銭支援や物品支援などで信州を物心共にサポートしてくれる人たちだ。
で、北浦さんから二回連続で振込みがあったので、「きっと手続きミスだろう」と思って返金の準備をしていたら、メールが届いた。「スタッフダイアリーを読んで、賞金を出すことを知って追加支援した」という内容。ギリギリのところで運営する我々が、賞金という選手の励みになる(であろう)企画をしたことに強く賛同してくれたのだ。思わず、こみあげてくるものがあった。お金をもらえた、という出来事にではなく、その心づかいに、だ。北浦さんの気持ちにふさわしい運営をしなくては。賞金を手にする選手にも、その思いを共有してもらえれば、と思う。
お金や物品以外にも素晴らしいサポートをしてくれる人がいる。今年のプロフィールマップを作ってくれたC.A.グッドウィルの曽我さんだ。今日、同じチームのトレーナーの純子さんから聞いたのだが、彼がものすごい熱に襲われながらも、締め切りに間に合うように必死になって作成してくれたことを知った。そんなこと全く知らなかった。アキオさんありがとう!
信州をサポートしてくれる人たちは、企業ではなく個人ばかり。みんな「ツール・ド・信州が好きだ。応援したい」という思いだけで支援してくれている。「おつきあいだから」とか、「ビジネスで」という理由は一切ない。こんな弱小の非公式大会だから当たり前だけど、その反面、ハートでの支援者はいっぱいいるのだ。エヘン!
☆写真は、99年の周山ロード第2戦に参加した北浦さん。なつかし〜

台風

shinshu2003-08-08

信州開催前に台風が来てよかった、なんて悠長なこと言ってられない。四国を中心にものすごい被害があるようだ。こうしてイベントの準備にヒイヒイ言っていられるのも、自分たちが無事に過ごせているからこそ。今、同じ瞬間に大変な思いをしている人がいると思うと、身も心もひきしまる思いだ。
京都ではいま現在(23時半)、ときおり強い風が吹いてはベランダの花や木を揺らしている。明日は本格的に暴風雨が襲ってくるとか。せっかくの週末。信州を間近に控えたサイクリストたちが練習できる機会なのに。早いとこ低気圧に変わって、台風なんぞいなくなってほしい。
今日は保険事務所に選手41人分、スタッフ18人分の保険をかけた。・・・と、一行で書くほど簡単に進まなかったのが、やっぱりツール・ド・信州かもしれない。
いつもお願いしている保険事務所は、近藤が大学のサイクリング部時代から懇意にしている小さな代理店で、例年、開催前日に名簿をファックスすれば確実に傷害保険加入ができているという便利なところ。昨年は怪我や事故に遭った5人の選手がお世話になった。いずれもちゃんと保険料が出て、喜んで(?)もらえた。
しかし、しか〜し、今年の分を頼もうと事務所に電話を入れたら担当のおじさんがいない。伝言を頼んで連絡を待ったところ、夜になってようやく携帯が鳴ったのだが「私、いま、東京に長期出張で来てまして15日まで戻れません。手続きも出来ませんので、よそをあたってください」!!なんと!!5年連続でおつきあいしているというのに、この冷酷な突き放し方に口がアングリ。
どう懇願してもNO、のいってんばり。年に一度しか使わず、しかも怪我人の多い面倒なツール・ド・信州なんぞにはメリットがない、と判断したのかもしれない。
途方に暮れたのだが、すぐに思いついたのが、会社で同じフロアに入居している小さな旅行代理店。いつもまめにお客さんに電話をして元気に仕事をしているので好感を持っている。だから、家から会社にいる近藤に電話をしてたずねてもらったら、即効OKの返事。その事務所では、AIUの傷害保険はネットで契約手続きができるらしい。良い代理店が近くにいてよかった!日ごろ仲良くしていたおかげである。ああほっとした。
保険がかけられなかったらシャレにならない。今度からもっと早くに手続きをしなくては・・・とはいっても、最終の人員が揃うのはいつもこの時期なので仕方が無い。願わくば、今回お世話になる事務所と末永くおつきあいできること。もちろん、誰も保険を利用しないことを心から祈っている。
☆写真は、去年、保険を利用した選手のひとり、関家さん。カッコ良すぎる女性選手。第2ステージ序盤のこと。平湯峠の登りで果敢にアタックしたシーン。