’04 第1戦(近藤家主催最終戦)レポート

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近藤家が主催する2004年初戦にして最後の周山ロード。
「引越しの決断にあたって、もっとも後ろ髪を引かれたのが周山ロードと、自転車に携わる皆さんとの関係」と近藤は掲示板に書いた。それほどに、周山ロードは京都に住む私たちにとって大切なイベントだった。日々の業務に忙殺されながらも何とか継続できたのは、周山での選手が見せる熱い走りとフィニッシュ後の憩いのひとときが、近藤家の活力源であり、かけがえのないものだったから。
99年から始まった周山ロードは、「ロード選手が少しでも実戦に近い練習ができたら」という近藤のアイデアから始まった。最初は京大自転車競技部の現役選手やOBがメインキャスト。第1戦は、8名だけの参加だった。
あれから5年。引退した選手もいれば、ずっと常連だった選手もいる。いつしか京大関係者だけでなく、関西一円のレーサーが集まってきてくれた。思いがけずスピーディな展開に辛い走りを強いられた選手もいれば、迷子になってしまった選手、落車で傷だらけになった選手も。けれども、毎回共通していたのは、どの戦いも「前へ前へ」の戦いだったし、走る者も運営する者も本気だったことだ。寒かったけど、熱かった。
さて、最終戦は3月6日。週のなかばまではポカポカ陽気だったのに、この日から突然、寒の戻りになって京都はひどい天気!なのに当日は30名もの選手に応援団はごっそり。最終戦にふさわしい賑わいになった。
参加選手は次の通り。開催にあたってスケジュール等の情報提供で牽引してくれた曽我(C.A.グッドウィル)、キナンから転身した辻(ナカガワAS・Kデザイン)、松村(京大競技部OB)、伊澤(同志社OB)、井本、一色(KUCC)、チーム新たに笹井、山本(bicinoko.com)、今年から実業団チームとなったルパンからは近江、西垣、宮本、山津、若山、疋田、横井、栫井(新加入!)、シマノドリンキングから白石、岡、そして今年から現役復帰しチームミヤタに加入決定の小嶋、同じくチームミヤタで加藤、さらに妹の加藤紀衣や山田(PC松本サイクル)、そして初出場で大挙してやってきてくれたのはシルベストの沼前、永田、山崎敏正&裕也、前川元&友明、稲田、そして中山(アカマツ)ら総勢30名が集まった。
また、スタッフ&応援者も勢ぞろい。99年から選手&スポンサーとして活躍してくれた中西さんやルパンのお仲間&ワンコたち、KUCCの春原(記録ありがとう)、毎回すばらしいサポートをしてくれる純子さん&ゴンちゃんもニコニコ登場。阪大の柳井クンら白石応援組や、輪界の生き字引・id:doroyamadaことカズさんも登場。そして初年度のリーダー・東後クン、近藤イベントの常連・斎藤、みんながうらやむ同伴オトコ・松村のつきそいで涼子嬢がかけつけてくれた。
さあ展開。
コースは99年第1戦と同じ、懐かしのAコース。サンダイコーから国道477号線〜常照皇寺を経て井戸峠、そして狭間峠に向かうなじみのコースだ。
午後1時、冷たい空気を切るようにスタート。初参加組に考慮し、常照皇寺まではスローなパレードに。30名が大集団で疾走する風景は壮観。サポート&応援カーも5台となかなかの風景だ(後日談:自転車の信号無視を地元の方に注意され、中西さんが丁寧に応対してくださいました。選手の皆さん、これからは交通ルール重視で走ってくださいませ)。
スタートから15分経過。国道でのパレードを終え、ひとつめの井戸峠に突入。斎藤提供のたまき亭のパンがかかった戦いだ。坂が始まったとたんに白石が先行。続いて山本、栫井も前に出る。またカウンターで白石、これに笹井がくらいつく。バラけ始めた集団の前方は近江、辻、小嶋、曽我、加藤らが占めている。そこへ初参加の永田も混じっている。
オフロード界のトップで活躍する白石の走りは群を抜いて力強い。中盤に入り、辻や笹井らが積極的に白石を追う。さらに近江が出てきた。峠で待ち受けるスタッフの前に一番でやってきたのは近江!すぐ後ろに白石。20秒差で辻、笹井、永田、曽我、小嶋、38秒差で加藤、1分開いて栫井、山崎、松村、山本、井本らが続く。
井戸峠からの下りから狭間峠にかけ、白石と近江はコンスタントに逃げ続ける。狭間までの道では永田、小嶋、曽我、辻ら第2集団が形成された。登りでは永田がグイグイと前へ出る。一方、曽我が疲れた表情で遅れを取り始めた。がんばれアキオ!
2周目、白石、近江のふたりと後続の差は50秒にまで広がった。ふたつめの井戸でも白石の走りは冴え続けている。コーナーでは賑やかな応援が繰り広げられ、「プチ・宇都宮」といった風情だ。峠入口でのトップ2名とのタイム差は、辻、小嶋、永田、笹井で52秒、曽我で1分30秒、松村、加藤、栫井で2分、さらに山本、そして山崎(敏正)が続く。
登り後半、白石が近江を引き離しにかかったようだ。一気に峠で17秒の差をつけた。後ろからやってくる選手らもバラバラ状態。永田が3番手に上がってきた。
初めてコースを登るシルベストの選手が「あと1回登るんですか!」と力をふりしぼってスタッフにたずねる。雪の残る峠で皆、渾身の走りだ。
「白石、はやい。はやい奴、はや過ぎ・・・」とカメラを手にオーガナイザーがワケの分からぬつぶやきをもらす。それぐらい白石は速い。苦手な下りもいよいよ克服したのか?井戸の下りから狭間までの間に近江との差は50秒になった。しかし近江の走りもその後はパワーダウンすることなく、3周目は同じタイム差でフィニッシュまでひた走ることに。後続では永田、小嶋がつけるがここにきて笹井が元気を取り戻してきた。一方、復帰後まもない小嶋が失速し始め、追い上げた曽我、辻、山本にかわされてしまった。また、序盤から積極的な走りを見せていた加藤がパンクの不運。夜勤明けの宮本(ルパン)や中山(アカマツ)がDNFとなった。
昨年のツール・ド・信州を彷彿とさせる白石の走り。「オフなんかなかったですよ」という近江。冬場のシクロクロス参戦が効を奏した2人が完全にこの日の周山を制覇した。
スタートから1時間18分14秒。「まだ走り足りない!あと一周走ってくる!」とスタッフに言い残し、フィニッシュライン(ないけど)を切った白石が狭間峠を下っていった。1分43秒後に満足げな表情で近江、「調子よかった!」と笹井が3位入賞。「ずっとホームページを見ながら周山に出たいと思っていた」という4位・永田は、なんとこれまでレース経験は沖縄市民200kmのみという驚きのニューフェース!今後に期待大だ。
続いて、サンダイコーでのセレモニー準備のために、睡眠をほとんど取れなかった曽我が5位でフィニッシュ。膝の痛みに耐えつつ辻が6位、山本が7位、「自分の今の位置が分かりました。修行するっす」とジマコ8位。「現役京大生には負けない〜!がんばりましたよ〜」と松村が9位、続いてルパンの横井と栫井でイ・イコンビ。以上、上位選手なり。
寒さ全開ながら、なんとか穏やかな天気となったサンダイコーに戻った選手たち。シルベストの山崎さんからの差し入れによるホットドリンクや、中西さんからのアクエリアスで喉をうるおしながらわきあいあいと表彰式が開催。上位6名と峠賞(近江)のほか、紅一点でパワフルな走りを見せた加藤紀衣選手に特別賞も贈られた。中西さん、たくさんの賞品をありがとうございました!
さらにその後、最終回ということで、曽我ファミリー発案によって近藤家に手作りの表彰状、リーダージャージ(加藤選手デザイン)、みんなの寄せ書き、可愛い花、しなもんのおもちゃなどが授与された。
「またいつか必ず戻ってきます。そして最高のレースイベントを作ります。皆さんもどうか協力してください」と目をうるませながらオーガナイザーが宣言。笑顔あふれる記念撮影がおこなわれ、サンダイコーをあとにし、近藤家で酒盛りが繰り広げられました。
今回の開催前に、これまでの参加者によってメーリングリストまで作られたというから、近藤家は驚きと喜びで終始絶句。セレモニーを企画してくれた曽我暁男さん・純子さん夫妻をはじめとする皆さんに心から感謝します。
以下、近藤がメーリングリストに送った皆さんへの挨拶から抜粋して、レポートを終了します。
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近藤です。

皆さん土曜日はお疲れ様でした。
思いがけず色々頂き感激しました。

終戦にふさわしく、たくさんの参加者がいてとても
見ごたえのあるレースでした。

周山ロードを見ていると、「ロードレースは集団にいれば
ゴールまでいける」みたいなロードの法則が全く通じなくて、
とにかく前へ前へ行かないと勝てないと思いますが、これは
人数が少なくて、まだ競技レベルが低いからなのかなあと
思っていました。

が、昨年から春のクラシックなどをスカパーで見るようになって、
パリ-ルーべやフランドルも最後は集団はバラバラで、とにかく
前に向かって攻撃を続けた選手が勝つ展開を見て、周山と一緒
やん、と思うようになりました。

周山ロードは行動を起こした者しか勝つことができないクラシックですね。

見ている方からしてみると、ロードレースは攻撃があるからこそ
面白く、そういう意味では近年のツール・ド・北海道
バイクから見ているよりも、周山のほうがよっぽど展開があって
面白いとさえ思います。

ロードレースは一人でも練習ができると言っても、一人じゃできない
練習があって、それは、「勝ちたい」と思う気持ちを戦略に変えて、
実践をして、そして成功や失敗を学ぶことだと思っています。

何度も何度も色々なレース展開の中で、自分の戦略を実践して、
失敗したりたまに成功したりしながら、自分の戦略の成功率=勝率
をあげていかないといけないと思います。

自転車選手のピークが、体力的なピークを少し過ぎたあたりに
あるのも、そうした要因が大きい証拠だと思います。

これからも周山ロードで、特に若い選手がたくさん参加して、老練(?)
レーサーたちの戦略にもまれながら、どんどん強くなっていくような
場であってくれたらと思います。

周山ロードはもう終わるしかないなあと思っていたところに、こんな
メーリングリストができたと聞いてうれしく思います。無理せず続けてください。

とにもかくにも、これまで有難うございました。

近藤淳也
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メーリングリストは誰でも参加可能だそうです。
http://www.freeml.com/info/shuzanroad@freeml.com
(レポート 近藤令子、協力 春原広明)
※集合写真は、曽我さん撮影。

【速報】13:00:00amスタート。後ろの数字はフィニッシュ時刻です
1 白石(シマノドリンキング)14:18:14
2 近江(ルパン)14:19:57
3 笹井(bicinoko.com)14:22:12
4 永田(シルベスト)14:23:06
5 曽我(C.A.グッドウィル)14:23:06
6 辻(ナカガワAS・Kデザイン14:23:16
7 山本(bicinoko.com)14:23:28
8 小嶋(チームミヤタ)14:24:24
9 松村(京大自転車競技部OB)14:25:07
10 横井(ルパン)14:25:32
11 栫井(ルパン)14:25:34
12 山崎敏正(シルベスト)14:26:19
13 岡(シマノドリンキング)14:26:22
14 伊澤(同志社大学OB)14:26:31
15 沼前(シルベスト阪大OB会)14:27:16
16 若山(ルパン)14:27:25
17 山崎裕也(シルベスト)14:27:27
18 前川元(シルベスト)14:27:45
19 西垣(ルパン)14:29:26
20 稲田(シルベスト)14:31:30
21 井本(KUCC)14:31:25
22 一色(KUCC)14:32:03
23 疋田(ルパン)14:32:16
24 加藤紀衣(PC松本サイクル)14:35:29
25 山津(ルパン)14:35:29
26 前川友明(シルベスト)14:37:57
27 山田(PC松本サイクル)14:44:09
DNF 加藤(チームミヤタ)
DNF 宮本(ルパン)
DNF 中山(アカマツ

まつりのあと

shinshu2004-03-08

まだ胸がいっぱいでうまく文章になりません。
3月6日。近藤家主催の周山ロードがひとまず幕をおろした日。
30人の参加選手の走りに感動をおぼえ、いつものようにわきあいあいと表彰式を終えたその後、突然、参加者やスタッフの皆さんから私たちに対するセレモニーがおこなわれた。
周山やはてなのロゴや粋なメッセージが入った手作りのリーダージャージ!素敵な花のプレゼント!私たちにこっそりかくれて集めてくれた寄せ書き!素晴らしいメッセージが書かれた表彰状!
どれもこれもみんなの心のこもったものばかり。これらの準備のために、アキオさんと純子さん夫妻はほとんど睡眠をとれないまま当日を迎えたという。忙しいなか、加藤さんはジャージをデザインしてくれた、という。
しかも、これまで参加した人を中心にメーリングリストを作って、綿密に計画を練ってくれたという。信じられなかった。
たしかに周山は、近藤のアイデアと行動によって作られたものかもしれないけれど、ここまでこれたのは、アキオさんを始め、熱い走りで盛り上げてくれた選手やサポートに来てくれた純子さんなど多くの人たちの行動があってこそ。
いつのまにか、周山は、近藤の手をはなれて、みんなの周山になっていたんだ、と実感。
リーダージャージを着せられた近藤の目は涙で光っていた。
誰もが笑顔で記念写真におさまってくれた。
夜、我が家でおこなわれた打ち上げにはたくさんの人たちが差し入れを持ってかけつけてくれました。ずっとみんなのお世話をしてくれた純子さん、涼子さん、野菜を切ってくれたとーごくんや松村、みなさんお手伝いありがとう。そして、楽しい自転車談義をありがとう。
東京に発つ私たちへの最高のはなむけになりました。みんな、本当にありがとう!
写真は、id:doroyamadaさんの撮影したものをお借りしました。他にもたくさんの写真が、 http://kazz.mine.nu/photo/shuzan200403/ に紹介されています。かずさん、サポートどうもありがとうございました。
とりとめのない文章になりましたが、月曜の激務のあとなのでご勘弁くださいね。
レポート書くから、待っててねっ。

雪のつづき

shinshu2004-03-04

今朝は、「しんどい〜」と先に出発した近藤をあとから必死で追っかけて、五条通りで見事つかまえてやった!その後も、ガンガン引いて「どうしよう。ついてけないかと思った」と言わしめたぞ。しかし頑張りすぎて、出社後に気持ち悪くなってしまった。やっぱりあさってが周山ロードだと思うとモチベーションも高まるというものです。
で、昨日書いていた雪の心配なのだけど、晩御飯をルネ(京大生協)で食べながら「なぁ、井戸峠って雪なんちゃうかな」と言ったら「ええやん。雪で。第一回大会も大雪やったやろ」って。そんな〜!!あいかわらず太っ腹なんだから。
夜は家でお鍋をする予定。カセットコンロが一個しかないので、誰かにたのんでもう一個持ってきてもらおう。アキオさんちにお願いしようかな。持ってるかな。
イラストはあさってのAコースです。3周です。みんながんばって。

心配なのは

shinshu2004-03-03

・・・雪です。雪。
最近、寒いですよね。週末の周山ロードは、井戸峠を走るAコース。99年の第一回大会と同じコースにしようとオーガナイザーが粋なはからいを見せました。
しかし井戸峠は、雪がなかなかとけない峠。大丈夫でしょうか。
写真は、懐かしい第一回大会のもの。シリーズチャンピオンの東後くんの勇姿が懐かしい。あら、最後尾にぼやけて写っているのは小嶋では?まだ当時1回生だった彼も大学院生。みんなそれぞれに年をとってます(私も)。

’04始動

shinshu2004-03-02

お久しぶりです!そろそろ今年の活動をスタートさせたいと思います。この日記もぼちぼちと書き始めますね。よろしく!
周山ロード04初戦にして最終戦が週末に開催。寂しい気持ちでいっぱいだけれど、きっとこれが本当の最後ではないと信じています。土曜日、周山を愛する人たちといっぱい話をして、今までのことやこれからのことで盛り上がりたいです。
周山ロード04初戦は、今週土曜、13時開催です。いざ、サンダイコーへ!

去年のリーダー

shinshu2003-08-29

全日本実業団の会場を歩いていた近藤に、昨年のリーダー、阿部選手が声をかけてくれたらしい。
「今年も行きたかったんですけど、結婚の準備で忙しくて無理でした。残念でした」とのこと。そうか。人気者の阿部ちゃんも遂に結婚かあ。おめでたいなあ。
久々のレースでも、やっぱり峠で前に飛び出していたのは阿部選手だった。いつも常に前に出て、小さな駆け引きよりも大きなアタックで勝負に懸ける阿部選手。「あの人の走りを嫌いだなんて言う人、いないよ」と近藤も惚れている。
そんな阿部選手がツール・ド・信州を走ってから、もう一年以上が経過した。突然、開催三日前のエントリーにびっくりし、ゼッケンが足りないので京大自転車競技部の小嶋が他所のレースで使ったゼッケンをもらって流用したのを覚えている。
信州での阿部選手は、あまりにも強くて「逃げる」どころかフツウに走っていたら前に出てた、というような展開だったけれど、それでも最後まで手抜きなどすることなく、清清しい走りで白いジャージを身にまとってくれた。
阿部選手に関することで、苦い思い出がひとつあった。
99年だったか、広島でおこなわれた全日本選手権で、バイシクル・クラブの記事を書くことになっていた私は、近藤と共に会場で取材をした。そのときのレース展開たるや、昨年のチャンピオン、藤野選手率いるブリヂストンと勝利を狙う阿部選手擁するシマノによる熾烈な戦いが最後まで繰り広げられ、壮絶な内容だった。阿部が逃げる、つかまる、阿部が逃げる、誰かが出る。そんな感じで阿部選手、全身全霊をかけたのだけれど、ラスト二周で藤野がアタックを決めてナショナルチャンピオンの座を守ったのだった。
レースが終わり、表彰式が始まる直前、ステージの脇でしゃがみこんでいた阿部選手。悔しさと疲労感が漂う表情でぼおっとしていた阿部選手に、私は近づきインタビューをしようとした。しかし、「いや、もう、いいです。もう、いいですから」。阿部選手は目の前の私に対し、かたくなな表情と厳しい口調でピシャリと心のシャッターをおろした。
インタビューを断られたことは、私にとって初めての経験だった。けれど、振り返れば分かる。自分が何と浅はかにレースをとらえ、選手の心の内側を知る努力をしていなかったか。うすっぺらい自分の頭を殴られたような思いになった。魂を削るような戦いに敗れ、誰にも理解できないほどの悔しさに襲われていただろう阿部選手への何の配慮もなく、ただそこに阿部選手がいたから好都合、とばかりに近づいた私。帰りのクルマの中で、恥ずかしい思いを抱きながら反省したことは言うまでもない。
阿部選手に、あの時のことを謝りたいな、と思いつつ、長い月日が経ってしまった。その後も何度かレース会場で出会ったり、取材をしたりすることはあったけれど、あの時のことは話題に出ないまま時がすぎてしまった。彼はもう忘れているかもしれないけれど、私にとっては、自分の仕事への姿勢を問いただしてくれた大事な出来事だったので、彼にとても感謝している。
来年、ツール・ド・信州にまた阿部選手が出てくれたら、彼のレースに対する情熱に負けないサポートをしよう。それが、私なりのお詫びと感謝の気持ちだ。
☆写真は、去年の信州、第3ステージの阿部選手。最終日には、サインをもらうために峠に登ってきたファンもいました。

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そろそろ、この日記も不定期にしたいと思います。周山ロードなど、イベントのある前後には書きたいと思っているので、よければ信州の本家HP掲示板と共にこれからもおつきあいお願いします。更新チェックは、「自転車もろもろアンテナ」でどうぞ。↓
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