去年のリーダー

shinshu2003-08-29

全日本実業団の会場を歩いていた近藤に、昨年のリーダー、阿部選手が声をかけてくれたらしい。
「今年も行きたかったんですけど、結婚の準備で忙しくて無理でした。残念でした」とのこと。そうか。人気者の阿部ちゃんも遂に結婚かあ。おめでたいなあ。
久々のレースでも、やっぱり峠で前に飛び出していたのは阿部選手だった。いつも常に前に出て、小さな駆け引きよりも大きなアタックで勝負に懸ける阿部選手。「あの人の走りを嫌いだなんて言う人、いないよ」と近藤も惚れている。
そんな阿部選手がツール・ド・信州を走ってから、もう一年以上が経過した。突然、開催三日前のエントリーにびっくりし、ゼッケンが足りないので京大自転車競技部の小嶋が他所のレースで使ったゼッケンをもらって流用したのを覚えている。
信州での阿部選手は、あまりにも強くて「逃げる」どころかフツウに走っていたら前に出てた、というような展開だったけれど、それでも最後まで手抜きなどすることなく、清清しい走りで白いジャージを身にまとってくれた。
阿部選手に関することで、苦い思い出がひとつあった。
99年だったか、広島でおこなわれた全日本選手権で、バイシクル・クラブの記事を書くことになっていた私は、近藤と共に会場で取材をした。そのときのレース展開たるや、昨年のチャンピオン、藤野選手率いるブリヂストンと勝利を狙う阿部選手擁するシマノによる熾烈な戦いが最後まで繰り広げられ、壮絶な内容だった。阿部が逃げる、つかまる、阿部が逃げる、誰かが出る。そんな感じで阿部選手、全身全霊をかけたのだけれど、ラスト二周で藤野がアタックを決めてナショナルチャンピオンの座を守ったのだった。
レースが終わり、表彰式が始まる直前、ステージの脇でしゃがみこんでいた阿部選手。悔しさと疲労感が漂う表情でぼおっとしていた阿部選手に、私は近づきインタビューをしようとした。しかし、「いや、もう、いいです。もう、いいですから」。阿部選手は目の前の私に対し、かたくなな表情と厳しい口調でピシャリと心のシャッターをおろした。
インタビューを断られたことは、私にとって初めての経験だった。けれど、振り返れば分かる。自分が何と浅はかにレースをとらえ、選手の心の内側を知る努力をしていなかったか。うすっぺらい自分の頭を殴られたような思いになった。魂を削るような戦いに敗れ、誰にも理解できないほどの悔しさに襲われていただろう阿部選手への何の配慮もなく、ただそこに阿部選手がいたから好都合、とばかりに近づいた私。帰りのクルマの中で、恥ずかしい思いを抱きながら反省したことは言うまでもない。
阿部選手に、あの時のことを謝りたいな、と思いつつ、長い月日が経ってしまった。その後も何度かレース会場で出会ったり、取材をしたりすることはあったけれど、あの時のことは話題に出ないまま時がすぎてしまった。彼はもう忘れているかもしれないけれど、私にとっては、自分の仕事への姿勢を問いただしてくれた大事な出来事だったので、彼にとても感謝している。
来年、ツール・ド・信州にまた阿部選手が出てくれたら、彼のレースに対する情熱に負けないサポートをしよう。それが、私なりのお詫びと感謝の気持ちだ。
☆写真は、去年の信州、第3ステージの阿部選手。最終日には、サインをもらうために峠に登ってきたファンもいました。

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そろそろ、この日記も不定期にしたいと思います。周山ロードなど、イベントのある前後には書きたいと思っているので、よければ信州の本家HP掲示板と共にこれからもおつきあいお願いします。更新チェックは、「自転車もろもろアンテナ」でどうぞ。↓
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