8月もあと3日

夕方、大雨が降ったので東山はおあずけ。下りのことを考えると、ここは大事を取っておとなしく帰ろう。なんて言いつつ、昨日まで三日連続で走ったために足が疲れていたから内心ほっとしたりなんかして。
それにしても夕方の雨は嫌だなあ。
びしょぬれになって家に帰り、シャワーを浴びると疲れがドッと押し寄せてきた。今日は夜まで特に用事もなく、ぽっかりと数時間あいた。すると体からどんどん力が抜けて、ソファーに倒れこんでしまった。2時間ほど熟睡したものの、いやな夢にうなされて汗びっしょりで起きた。こんなことなら寝なければ良かった、なんて思いながら夜の散歩に出た。もう雨はやんでいた。
今年はツール・ド・信州Tシャツを65枚作ったのだけれど、微妙に数が足りない。そこで明日、追加注文することにした。支援者の方々への発送も、追加分完成後にまとめて、と思っている。早くできればいいのだけれど。

逃げる

shinshu2003-08-27

先週の土曜、実業団レースの前夜は我が家に京大自転車競技部のコたちが集まって飲んで食べた。
そのとき、信州で活躍した高橋もいて、ご飯の最中に「どうして第1ステージでリーダージャージ着てるのにしょっぱなから逃げたの?」とたずねてみた。
すると、「どうしてリーダージャージを着てたら逃げちゃいけないんですか」と逆にたずねられてしまった。それに対し、思わず言葉がつまってしまった私。自分の浅はかな問いかけにドギマギしてしまった。
そう、「信州は駆け引きなどまったく関係なく、自分の力で走りきる大会」などと普段は言っているのに、ついつい自分の中にこびりついているステージレースのセオリーなんかを持ち出して話している自分がいる。あかんなあ。
高橋は、逃げたかったから、逃げたのだ。リーダージャージを着てるからって初日から守りの走りなんてしたくなかったし、そんなことをしたところで真の王者になんてなれない、ってこと、分かってたのかもしれない。しかも信州は、本物のレースなんかじゃない。ギリギリのところで走り、自分の力を最大限引き出し、ここまでやれるのか!っていうところまで頑張る場所なのだ。白いジャージを着てるからって、じっと集団にいたらいい場所じゃあないんだ。
でも、私が見ていた第1ステージの高橋は、あまりにも早いアタックで消耗してしまい、せっかくの白石との勝負もできないままに負けてしまったように思えた。せめて白石とのデッドヒートを繰り広げられるような場面がその日にあれば、と残念に思ったのだ。
第2ステージは冷たい雨のためリタイヤ。そして第3ステージは、細川と共に逃げて優勝。それはそれで嬉しかったけど、できれば前日のリタイヤは避けてほしかった。本当のステージレースなら、走れなくなるんだぞ。本当にやめないといけない状況だったのか?そう聞きたかったのも正直な気持ちだった。
第1ステージ序盤から独りで逃げた高橋が、どんな気持ちで逃げたのか、私には分からない。その逃げは、本当に逃げる価値があった逃げなのか、それもよく分からない。逃げるって、ただ集団から前に出るだけじゃ意味をなさないんじゃないかな。そんなことを、昨日、録画していたツール・ド・フランスの総集編で、復活を遂げてステージ優勝したときのヴィランクの長い長い逃げを観ながら思った。今度、高橋に会ったら彼にとっての信州の逃げについて、もっと詳しく話を聞かせてもらおう、と思う。

近づきたくて

shinshu2003-08-26

ツール・ド・信州と全日本実業団で手に入れた感動が、時間の経過によって薄らいでいくのが嫌で、少しでも自分の中にとどめておきたくて、昨日と今日は会社の帰りに東山を登った。信州の峠や九鬼ケ坂に比べれば、ほんの小さな丘みたいなものだけれど、いつも平地しか走っていない私にとっては大きな出来事。私の変化に近藤も驚きを隠せず、「どうしたん??すごい!!」と感嘆の声をあげてくれた(たいしたことないのだけれど・・・)。
今日は帰りぎわから雨が降り始め、おかげで登りは咽が渇かなくて良かったのだけれど、いかんせん久しぶりの濡れた路面。下りが怖くて怖くて、腕にビシビシと力を入れて神経をとがらせてゆっくり下った。こんな丘の下りで怖い思いをしていたら、信州のものすごい寒い雨の中の下りはどんなだっただろう。どんなに辛く、怖かったことだろう。今年の過酷なコンディションを乗り越えた選手たちは、あらためてすごいと思った。
私は、私のモノサシでしか、物事を感じられない。今までの私のモノサシは、華やかなレース会場での人々との交流をいちばん大切なものとしてとらえていた。無論、今なおそれは大切だけれど、それだけでなく、もっともっと「選手」に近づきたい。だれだれさん、という選手ではなく、ロードレースに挑む選手って、どんな気持ちで走っているのだろう、どうして峠を登るのだろう、そんな精神的な部分に近づきたいと思い始めている。
もちろん、今から必死で練習してレースに出て、なんて考えてはいない。けれど、ツール・ド・信州をこれから少しでも成長させていくためには、もっともっと峠に挑む者の心にせまりたい、と思っているのだ。誰かの言葉の受け売りではなく、自分自身が体と心を使って、実感したいのだ。
明日もこけないように下ろう!
ああ、それにしてもギアが足りない・・・

Going my way with my bike

shinshu2003-08-25

ああ、自転車ってやっぱりいいな、と今日も実感。
近藤が前輪をパンクして、修理する暇がないというので私のロードの前輪を貸してあげた。それが3週間前。以来、それを理由にクルマで重役通勤していた。しかし週末にようやくパンク修理が完了した(おそーい)ため、前輪が戻ってきた。もう言い訳はできまい。ということで、レースの翌日ということもあって高まっているモチベーションと共にレーサー通勤復活。
いい!何がって、クルマで通勤するストレスを考えると、暑さやしんどさを差し引いても・・・やっぱり自転車っていい!と思えた。
今現在、川端通り丸太町の南行きは工事のために1車線になってしまっている。これが日中はすごい渋滞をもたらして、普通なら20分で到着するクルマ通勤が30分〜40分かかっていたのだ。ルートを変えたら変えたでストレスがたまるルートばかりだったし、ちょこっと銀行に寄って、とか帰りに買い物、という風に身軽に動けなかったので、辛かった。何より、クルマにばかり乗っていると、何か自分の身体の内側に汚い空気がたまっていくような感じがして、嫌だったのだ。
自分のペースで走れるし、自分のルートを選べるし、手軽にどこにでも立ち寄れる。やっぱり自転車って素晴らしい。そして、ロードというのは走り出すと本当に軽くって、一度、乗り出すとやめられないですね。競技用、というイメージがあるけれど、街乗りや通勤にこそロードをお薦めしたいなあ、と思っているこの頃だ。パンクしやすいのがたまに傷だけど。
昨日あった全日本実業団@美山にもたくさんのサイクリストがロードで来ていた。近藤も暑さでヒイヒイ言いながら自走で行った。しかし、「九鬼ケ坂のふもとで役員に『一般車輌に迷惑になるから自転車はココに置いて行くこと!』と止められた。押して行くといってもダメの一点張り。なんでやねん!」と憤慨しながら登ってきた。しかしダメと言い張っていたのはそこの役員ひとりだけで、他所のスポットからなら自転車と一緒に上がってこれたらしい。一体、自転車一台ぶん峠に上がってどれだけ迷惑になるというのだ。観戦のクルマは悠々と上がれた、というのに。
近藤は「自転車で観戦に行くことこそが、本来の自転車レースの観戦のありかただと思うのに、その人間が排除されるなんてひどい」と訴えていた。本当にそうだと思う。
話がそれたけど、ロードってやっぱりいいのだ。だから、ロードの地位を少しでも上げるために、私も頑張って街中で乗りこなしていこうと思う。
☆写真は、私が長年愛用しているマイ・オリジナル「BDI CHO」。古いけどデュラ・エースだぞ。実家の近所に住まれていたオリンピック選手の長義和さんに作っていただきました。長さんご夫妻は、私がシマノ関係の仕事をするようになったきっかけを作ってくださった恩人です。色は、ジロのマリア・チクラミーノ(シクラメンのピンク)をイメージしました。

全日本実業団@美山

shinshu2003-08-24

本当に久しぶりにレース会場へ足を運んだ。
司会とライターの仕事を引退し、JCFでの活動もやめてからは意識的にレースから遠ざかっていた。ツール・ド・信州と周山ロードのみに専念し、京都車連さんのやっている大会以外で実業団選手の集まる大会には3年近く足を運んでいなかった。
それが、地元・京都での実業団レース開催、しかも信州直後ということで観戦に行くことになり、久しぶりにあの空気を味わった。
にぎわう峠、補給での喧騒、顔見知りの人とかわす挨拶。そして選手達の「本気」の走り。なじみの選手が逃げていた。まだ彼らは走っていた。そして第一線で自分を追い込み、観衆を魅了していた。
信州の選手もいた。渥美選手はBR1のメイン集団で力強く走っていた。京大の高橋と細川は、BR2の序盤で逃げて、信州でのシーンを再現させた(あのまま逃げ切って暮れたら・・・)。それにしても、BR2は終盤に救急車が先頭集団に割って入ったためにレースが成立しなかったとか。なんということ!せっかく全国からこのレースのためにやって来た選手にとっては無念きわまりないではない事だな、と思う。
シマノの丸山コーチと板東監督にも3年ぶりで再会した。お互い、あまりに時間が経ちすぎて何から話せばいいか分からず、ただ、「本当に久しぶり」と互いに目をまんまるくして笑いあうだけだった。
華やかなスポットには日本舗道の選手のために補給をする岡崎あっちゃんと和也くんのお母さんがいた。私も手伝って補給をして、和也くんにバッチリ渡すことができた。ああよかった。思えば選手に補給をすることなんて、信州と周山以外は初めてだった!ああコーフンした。あっちゃん、すばらしい機会を与えてくれてありがとうー。岡崎くん、私のつたない補給を受け取ってくれてありがとうー。
選手が峠を登ってくるのを待つゆるやかな時間、いちばんに駆け上がってきた選手に声援を送るけたたましい空気。どれもこれも、「やっぱり自転車レースっていい!」と思える時間だった。
周山でおなじみの人もいっぱいいた。トレーナーの純子さん(C.A.グッドウィル)は、周山での姿よりもキビキビとしていて、「ああレース会場にいるんだ」と実感できた。そうそう、近藤は自走でふらふらになりながら美山に行ったのだけど、近江さん(ルパン)から「次の周山は?」と聞かれたとか。そろそろ決定したいですね。
☆写真は、九鬼ケ坂で選手を待つ岡崎ファミリー。

ついにテンションが

眠い。
これまでのハイテンションが遂にピークをすぎて、下り坂に入ったようだ。ひたすら体がだるくて眠い。今日はそのせいでドジなことをしてへこんだり。
後遺症はいつまで続くだろうか。

まだテンションが

shinshu2003-08-21

信州では熱病に襲われたようにハイテンションになってしまう。そりゃそうだ。あんな非日常、滅多と経験できないもの。60人近い人間と一緒に行動して、しかもその人たち全てが自転車好きの峠好きで、目の前にそびえる信州の山々をみんなで一生懸命走るんだもの。そしてひとつのキャラバンとして5日間、旅をして過ごすんだもの。そりゃもう、ひどい熱病にかかってもおかしくない。
ということで、まだハイテンションを引きずっている私は、睡眠時間5時間程度で神経をたかぶらせながら生きています。
全国各地にちらばっていった信州の仲間たちも、同じなのかもしれない。職場で私の隣に座るだんじょーも、私の帰宅後、正真正銘の熱を出してへたばってしまったらしい。やばい。私も近いうちにそうなること必至だ。
でも、週末は全日本実業団@美山へ観戦に行く予定。やったー!峠で思いっきり声援おくるぞ。
さて、まだハイテンションは引きずり続けそうな気配だ。
☆写真は、第3ステージで高橋のために献身的なアシストをした京大競技部の細川。2年前は、名前のとおり細いだけだったのに、今はしなやかでバネがあるクライマーに成長した。超絶マイペースで集団行動が苦手な彼。そのヘンコツなところが好きなんだけど、もうちょっと熱い野心と闘志を持てば、勝てる選手になるのになあ。